いつかは実現したいと思っていた、お子さんとの死別の体験をされたママが集まってお話をする場を開くことになりました。3月30日(日)鎌倉オフィスにて開催されます。詳細はこちらからご覧いただけます。束の間ですが、ご一緒に心の荷下ろしの時間を過ごしていただければと思っています。
このブログでは時々ご紹介してきました「優大とわたしたちの10年間の物語」は水無脳症という重い障がいを持って生まれてきて10歳で天に還っていった長男とわたしたち夫婦の日々を妻編、夫編としてそれぞれが綴ったものです。
優大の命は10歳10ヶ月ほどの長さでしたが、その毎日はそれはそれは濃密で、いのちのドラマがギュッと詰まった素晴らしい人生でした。本人もわたしたちも様々な苦しみや困難も味わいましたが、いのちとは何か?生きるとは?寿命とは?愛とは?たくさんのことを教えてくれて、本当に「卒業」という言葉がぴったりなお別れの日を迎えたのでした。
物語は優大の生きている頃の記録として綴られていますが、その後のわたしたちの人生にも様々な泣き笑いの日々が待っていました。
十分にお別れの準備もさせてもらえた旅立ちだったのですが、しばらくの間は打ち寄せる波のように悲しみや喪失感が訪れては1人で涙を流す毎日。
心にぽっかりと開いた穴は埋まることがないし、生活のあらゆる場面で「優大がいたら・・」と想像しては心を絞られるような寂しさが訪れる時間の中で、なんとかいまを生きることに必死でした。
介護ベッドや車椅子などを譲ったりしながら、心の整理をしていく道のりの中、心も身体も立ちすくんでしまうようなことがありましたが、まだ小さかった次男やお腹にやってきてくれた娘のために、とにかくなんとか大丈夫な顔をして過ごしていました。
ちょうど一周忌を迎える頃、夜の静かな時間にふと心の奥から声が聞こえてきました。「どうして逝っちゃったの?もっともっと一緒に過ごしたかった!!」という叫びでした。声に出しながら初めて大声で泣いたあの日、わたしの「大丈夫なふり」がようやく終わったのかなと、思います。
あれから15年ほどが経ち、ただただ感謝だけが残っているいまでも、死別の経験をお話しするとまだ涙が出ることがあります。日常では忘れていても、どこかに眠っている寂しさや喪失感がふと顔を出してくれる瞬間なのかもしれません。
悼む時間の中には様々な段階や気持ちが訪れるように思います。そして、大切なひとが亡くなった直後でも、どれだけ時間が経っても、いつでもそのひとのことを語ることで、心にまた新しい愛が宿るように感じます。
愛するあのひとは、あの子はいつも心の中に生きている。その消えることのない絆を感じたり、心に抱えている気持ちをお話ししたりする優しい時間をぜひご一緒できればと思います。