我が家には小学生の娘がいるのですが、彼女はとても繊細な感性を持っていて情緒豊かな素敵な女の子です。一方で気が強く、負けず嫌いな面も、笑。学校で嫌なことがあった時、本当は悲しいのに、すぐに怒ります。そしてわたしに散々文句を言うのだけど、本当は悲しいし寂しいわけで、目に涙をためていることに母は気付いているのです。。

それで娘に時々言います。悲しい時は素直に「悲しい」って言っていいんだよって。
相手に怒られるとわたしたちって反射的に反発するので、ケンカになったりする。
何より、怒っているうちに自分が本当はどう言う気持ちだったかが分からなくなったりする。
悲しい気持ちは消化できないまま怒りにどんどん変換されて行くと、とっても大変なことになることもあります。大きく自分やひとを傷つけてしまったり。。

これってね、悲しいだけじゃなくて、「疲れた」「悔しい」「怖い」とか他にも色々な言い出しにくい感情がありますよね。
そして「好きだよ」とか「こっちを見て欲しい」とかもあリますね。好きだから意地悪しちゃう、見て欲しいから悪いことしちゃう、なんてことも。

大人になると感情抑圧からの拗らせはさらに複雑になっていきます。パートナーとの関係なら、単純に疲れたと言えずに限界を超えてしまい、どうしてわかってくれないの!と、ケンカになったり。親子間なら、こどものために、という衣を着せて、自分の欲求を叶えようとしてみたり。

わたしたちの感情は本当に豊かに湧き出てくるものです。そしてこれは本当に大切なもの。なぜならこの一人一人違うカラフルな感情がわたしたちの生きて行く中での羅針盤になってくれているから。
自分が望む方の道へと導いてくれるのが感情というコンパスです。嬉しい楽しいワクワクする方はあっち、悲しい苦しい方はこっち、と常に教えてくれています。どの道を選ぶかは自分次第ですが。

大事なのは、すべてをひとに対してオープンにする必要はなくて、まずは、自分が自分自身の素直な感情、心の訴えを他のものに変換しないでよく聞いてあげるということ。

感情を抑圧して、我慢して、自分でも分からなくなって、そして辛くなってからドカンと来る、わたしも昔ずっとそうでした。突然大きく体調を崩したり、相手に対して急に怒って驚かれたり、、それって実は何ヶ月も何年も我慢していたりする結果なのです。

悲しいって素直に言えると、まずは自分が少し楽になると言うことを知って欲しいなと思ったりします。
そっか悲しかったんだねって自分を抱きしめることもできる。相手との関係性の中だとしたら、怒って何かを訴えるよりも、早く理解し合うこともできるかもしれません。

そんな話を娘としていたら、ポロポロ涙が。「だってね、、悲しいって言ったら泣いちゃうから、、」と心の声も出てきて。そんな時間がとても大切なのだよなぁと改めて感じました。

悲しいって言っていい。悲しい時は泣いていい。あなたがあなたでいることが一番大事でとても尊いことだから。そのままのあたなをあなたが認めてあげてね。そして、そのままのあなたを好きになってくれるひとがいるよ。というか、そんなひとと仲良くなったらいいんだよ〜。こどもも大人もね。

愛を込めて。