わたしたちはなぜ生きるのか?

こどもの頃からそんな疑問が消えなくて生涯を通して探求しているような気がします。
生きるのが辛かったから、そう思った、と通常ならば考えるし、でも宙の方から人生全体を俯瞰して見てみると、その答えが知りたかったから、すんなりとは生きてはいけないからこそ答えを知りたいと思うような環境を選んだ、とも言えるのです。

生まれてきて唯一わかっていて決まっていることは、いつか必ず死ぬということ。このことを避けては通れないのがいのちです。

まだ5歳ほどの幼いわたしにとって、なぜか死はとてもリアリティがありました。布団に入り目を瞑ってしまったら宇宙に溶けてしまって自分がなくなるという感覚がありました。それが死の感覚とリンクしていたのです。
「どうして死ぬことだけがわかっているのに、こんな恐怖を抱えながら生きることを選び続けなければいけないのだろう?」寝る時間になると毎日のようにそんな風に思っては眠れなくなるのでした。

いま思えば、いつかの自分が死んだ記憶が残っていたのだろうなぁと思います。

余談ですが、娘は2、3歳のとても小さい時から、宇宙には終わりがなくて永遠にその外には出られないから怖いと言ってパニックになることがありました。わたしとは少し違うけれど、娘にも何かの記憶があるのでしょう。本当にそうだから怖いのもわかるよ、と言って慰めるわたし。親子って面白い、笑。

少し不思議な話かもしれませんが、優大が亡くなるときに目には見えないけれど確かにある宙の意識とつながる体験をして、その意識を介して言葉の話せなかった優大からメッセージをもらいました。
その後からはその大きな意識からダウンロードするように生きることの真実にどんどん気づいていきました。前世の記憶や生まれてくるときの記憶も少しずつ思い出されてきました。
前世やその前もまたその前もずっと大変な苦労をしたので、わたしは生まれてしまったという苦しさを持ってまた地球に生まれてきていました。そんなビジョンが見えたときは深く納得すると共に、その時の悲しさとつながって号泣していました。

ですが、今回の人生の目的は、喜びに生きることを選んできていました。人生の前半ではそのことをしっかりと思い出すための時間をもらいました。「幸せである」ということの意味を確認する必要があったので、幸せでない状況も体験しました。辛く悲しい気持ちを知り、喪失と絶望の体験もしました。

そして最愛の息子の死というものさえ、わたしにとっては掛け替えのないギフトであったと思ったときに、この人生自体にギフトでないものはない、すべては与えられた愛でできているのだなと心底感じたのです。

わたしの人生はとても順調に進んでいます。何が起ころうとも何処かへと続く必要な道の上にいます。本当はわたしたちはみんなそうやって順調に生きています。
だから、あなたもわたしも、この世界も、色々なことが起きても、大丈夫。いつかそのときが来るまで、生まれてきたことを祝い、いのちを慈しみ、人生を味わい尽くそう、そんな風に思うのです。

一緒に笑いましょう。時々悲しくて泣いて、でも、また笑って、大切な二度とはないいまを生きていきましょう♡