そろそろ春がやってきますね。こどもに合わせてお母さんたちにとっては何かと忙しいこの時期。もちろん大人も異動や引っ越しや新たなスタートに際して様々な変化もあるかと思います。
我が家は末っ子の娘が小学校を卒業します。この6年間はもちろんのこと、生まれてきてくれてから12年間の日々を思うとただただ感謝の気持ちが溢れてきます。
こどもとはいえ、傷付いたり悩むこともあって、それでも一つ一つ経験を積み重ねて諦めることなく成長しながら生きてきたと思っています。ここにいてくれるだけで、どれほどありがたいか、言葉では伝え切れない気持ちです。
親になって25年、思い返せば子育て中には悩むことも沢山あって、それを解消するためにこどもを自分の思い通りにしようと考えたり、都合よく言うことを聞かせたいと思ってしまうこともありました。
長い子育ての間では、それはある程度はどうしても起こってしまうし仕方のないことだという気持ちですが、我が家ではなるべくこどもたちの歩むレールを大人が敷かないように、正解も決めないように、どの道をどんな方法で進むのかを尋ねながら、こちらができる精一杯のサポートをしてきました。
こどもたちにとっては簡単なことであればその方法は嬉しい限りで、勉強時間やゲームやタブレットや遊びについての制約もあまりないのでご機嫌に過ごしています、笑。でも進路や少し難しい選択の場合は「方向性を決めてくれた方が楽ってこともある・・」と言われることもあります。
そうだよねぇと思いながらも、やはりこの経験を大人が奪わないことが大切だなと思うので、こちらもグッと堪えて本人が納得できる答えが出るのを待ちます。
言う通りにさせる方が安心ですし簡単なのですが、自分の人生を主体的に選んでいく力、自分を自分で幸せにする力をつけてもらうにはこの見守りは欠かせないように思います。
こちらも大変ですが、親にならせてもらい、コントロールできない物事を見守る胆力や寛容さを育むチャンスをもらっていることはありがたい限りです。
もう少し記憶を遡ると、わたしにはこどもの頃からずっと抱えていた心の叫びがあったことを思い出します。それは「こどもは大人の持ち物じゃない!」と言う憤りのような思いでした。
厳しい親のもと幼稚園から進学校で育ち、感受性が鋭いこともあって、不自由さや理不尽さを感じることが多くありましたが、なかなか反発することもできませんでした。その代わりに高熱が出たり自律神経がおかしくなって体調不良でないことの方が少ないような日々でした。
あれから40年くらい経つと言うのに、社会の中ではまだ同じような場面に遭遇します。
公教育の掲げるビジョンもこどもの自主性、創造性重視と変わってきているのに、繊細なこども、人とは違う感性や考えのあるこどもが生きにくい環境はなかなか変わらないのだなぁと思うと、改めて、まずは大人の世界がお互いに寛容で生きやすくなること、自由に望む人生の選択をしながら喜び生きる大人が増えることが大切だなぁと思っています。
そして子育てや教育に携わる場合には、こどものためと言いながら、自らの承認欲求を満たすために、また自分の正義を実現するために、こどもを利用しようとしていないかな?と自分に問うことも必要だなと思います。
さて、今日はこどもの育つ環境について書いてきましたが、天に帰って行った長男の優大が彼の生涯を通して教えてくれたことがあります。それは、
「みんな生まれてきたことでもう十分に価値があり、一人一人がかけがえのない存在だと言うこと。そして、違う形のパズルのピースが組み合わさってできているのこの世界では、みんな違う姿形で特性や能力や魅力も違うことにとっても大きな意味があると言うこと。」です。
最後にそんなことに思いを馳せながら、新しい世界に踏み出していくみんなにお祝いと感謝の気持ちを込めて・・
「生まれてきてくれて本当にありがとう。これまで生きてくれて大きくなってくれてありがとう。あなたの存在自体がわたしたちにとって宝物です。また新しい世界があなたのことを待ってるよ。心が望む方へ一歩ずつ、ときには立ち止まっても引き返しても大丈夫。あなたが進む道にはいつも応援団がついているから、どうぞ自分を信じて進んでいってね!」
終わりと始まりの春に、すべての地球の旅人に心からのエールを贈ります♡