最近オフィスへの出社日を決めたことで、週2日、集中して仕事時間をとることができています。
自宅でついつい仕事し始めてなかなか終われず、お腹を空かせたこどもたちに呼ばれてもキッチンに行けない、笑、ということもなくなりました。
わたし自身も自分の時間の使い方にメリハリがついてきたことで、自分のためだけにしっかりと時間を確保してノートを書いたり、ストレッチなどの身体のメンテナンスをしたり、ブラブラお買い物もしたりする気持ちが戻ってきました。財団を設立して以来難しかったので1年ぶりくらいでしょうか。

自分を一番に大切に扱う、ということをここ最近のテーマにした理由の一つに、わたしにとっては「やらなければいけない」という気持ちを手放してあげることが、自分の心身の健康のためにどうしても必要だったことがあります。
自分自身よりも「やるべきこと」「出すべき成果」が優先されている状態はわたしにとって心地の良いものではありませんでした。かつて母としての自分を解放してきたように、財団代表としての自分も解放して自由に幸せに働くことを選ぼうと思ったのです。しかめっ面でひとの幸せを願うなんて本当に本末転倒ですから、笑。

家庭の中での役割については何年もかけて、やりたくないことをしない、を結構徹底して自分に許すことをしてきました。炊事はどうしても義務感が強くなるので、外食とテイクアウトを活用して作りたい時だけ簡単なものを自炊する、掃除はなるべくしたいので苦にならずに気が向いたときにする、お弁当作りは嫌すぎるので父さんの担当に、笑、という具合に、つまりはただ家事を減らすことなのですが、まるで重大ミッションみたいに書いているのは、笑、お母さんにとってそれってかなりハードルが高いのですよね。

お母さん、特に仕事などの自分の活動をしていないときのお母さんにとって、生活の中で家事や子育てって本当に大きなシェアを占めます。客観的な評価や報酬がないしルールもないので、時間を割こうと思えば際限なくできるし、完璧さを求めれば終わりはありません。
となるとわたしはこれでいいしっかりやれている、という自己受容でしか満足できないわけで、だからいざそれをしない、となると変な抵抗感が生まれるのです。楽になるはずなのに自分の役割や価値を奪われたかのような。。

わたし自身は重いハンディキャップがあり寝たきりだった長男の優大の子育てを通して、人生のほぼ全てを捧げたような時期がありました。
そしてその時代を経て深く思ったのです。お母さんだからといって自分の人生を諦めたり後回しにしていて本当にいいのかな、と。どんなに立派に役割を果たせようとも、笑えなくなるまで自分を追い込んで働かせたら、最後は一番尽くしたいはずの家族にとっても不幸な時間をつくってしまう。しっかりとこどもの顔を見つめて話したり、笑ってこどもを抱きしめることができなくなってしまう。
何より、役割のない自分には価値がないと思い込み、自分自身を大切にして喜ばせたり癒したり元気にさせてあげることができないなんて、全く誰も望んでもいないことでした。

財団を立ち上げるときに掲げた大切な言葉「母が笑えば地球が笑う」これはもちろん母だけではなくてすべてのひとがそうです。幸せなときには自然と笑うし、その笑顔はたくさんのポジティブなエネルギーをもたらします。だからみんなが笑って暮らせる世界になるといいと切に思います。
そして特に、お母さんには心から笑ってくれているだけで大きな大きな安心と喜びをもたらす力があります。みんなお母さんから生まれたのですから。
だから笑おうよ、頑張って無理して笑うんじゃなくて、完璧じゃなくても人生が楽しくてつい笑っちゃうように生きていいじゃない!と思うのです。

あなたが笑えば家族が笑う、みんなが笑えば地球が笑う。わたしも悩んだり疲れたりもするけれど、いつからでもまた、ただふんわりニッコリ笑えるように生きていれば、こんな幸せなことはないなぁと思っています。

写真は富士山が見られて嬉しそうに笑う幸恵です、笑笑。