東京に戻りお別れ会も終え、慣れない3人暮らしが始まりました。

久しぶりの、生活感あふれる我が家にどうしても寂しさが募ってしまいます。

当たり前だった優大仕様の生活がそこに残されていて、その空間に、ただ優大だけがいない。

日常なのか、非日常なのかが整理できない感じでした。

久しぶりに仕事に復帰するとびっくりするぐらい駄目でした。何個ものタスクを同時にやろうとしてパニックになったり、いまひとつ集中できなかったり。

同僚がランチに誘ってくれ、少しずつ話をして、日に日に感覚を取り戻してゆきました。

ある日、夕食後に一人でワインを飲み始めた妻に急にイラっとして不機嫌になってしまった事もありました。

「酒飲むのよせよ!」

口論になりました。

自暴自棄になっているような感じの妻を見るのが嫌でした。

しかし、話をする中で、実は彼女は普段からお酒を飲む人だったことを思い出し、10年間お酒を飲む自由すら奪われていたことに気づき、あやまりました。

優大がいた10年間、彼女が、飲んでも嗜む程度にコントロールしていた事もすっかり忘れていました。

優大が亡くなった後、現実を受け入れる事の意味と難しさ、をよく考えました。

僕は元々先の事を考えるのが癖で、常に、次は次はと考えてしまうタイプです。

優大の没後は、現実をありのまま受け入れるしかないのに、うまく受け止める事ができなかった。前に進めない辛さを味わいました。

なかなか気持ちが落ち着かない中でも、次男の存在にはとても助けられました。

まだ保育園児なのに壮絶な体験をしたあっくん。

優大の生前は、普通の弟がするように愛情を独り占めすることもできませんでした。

3人家族になって、今までよりも関わってあげる時間がふえました。

ある日、近所の公園のブランコで遊ばせていると、「優ちゃんの分も押して!」「優ちゃんが笑ってるよ」と笑いながら言います。

本当に優しい弟。

パパにも気遣いしてくれる。

その微笑ましい光景を何気なく写真に撮ったら、雲ひとつない晴天の日にブランコを取り囲む虹が写りました。

子供は何も分かってない。それは親の思い込みでしかないのかもしれません。

あっくんのキラキラした瞳と素直な感性は、僕の曇った感性に光を戻してくれました。

優大が亡くなって三ヶ月が経ったある日、家に帰ると遺品が全て整理されていました。

思い出が詰まった遺品。

妻が独りで整理するのはあまりに辛いだろうから、僕も手伝うつもりでした。

でも、ある日思い立った彼女は涙を流し、気持ちを整理しながら、一人で全てやりました。

愛用の車椅子は学校に寄付する事にしました。

学校に持って行く日のこと、車椅子を以前のように福祉車両に積み込んだ時、妻は駐車場で泣き出してしまったそうです。

仕事中に電話がかかって来たので、よっぽどだと思い話を聞きました。

「もうこの車椅子を押す事もないんだと思うと辛い…」そう言っていました。

妻にとっての僕は、物理的・精神的な十年間の介護を共有した唯一の存在。優大が亡くなった後の妻の気持ちを理解し、受け止めることができるのは僕しかいないと思っていました。

少し話を聞いてあげると、妻の気持ちはだんだんと落ち着いてきました。

その後、学校に行き久しぶりに先生達にもお会いして、車椅子を
寄付して帰ってきました。

役目を終えた車椅子が、また別の子供達の為に活躍できるのを見届けて、清々しい気持ちで帰って来れたそうです。

父親と母親にとって子供との距離感は違います。亡くなった子供を受け入れてゆくやり方も当然違う。

男はとかく頭で論理的に理解しようとする。僕もそうでした。

でも、頭で受け入れようとしても感情がついていかない。何度も揺り戻しのショックを受けました。

感性で全てを包み込む妻は、亡くなった事よりも、もう傍にいないという事実を受け入れるのが辛そうでした。

ただその事実を自然に飲み込もうと、あがないもせず、じっと耐え忍んでいる。

そんな姿を見て、僕も次第に、自然に、受け入れる努力をするようになりました。

自分の思考や自分の感覚から逃げてはいけないんです。

寂しさ、無力感の原因は自分の内側にあります。

逃げずに受け止める事。そして、時間をかけて気持ちを整理し、ありのままを腹に落としてゆきました。

妻は本当に芯の強い人だと心から尊敬しています。

彼女の献身的な、無償の愛に溢れた介護と育児は、子供達をいつも暖かく包んでくれていました。

彼女の存在がなければ優大は命を全うする事ができなかったと思うし、僕たち家族も、こんなに幸せな時間は過ごせなかったと思うのです。

優大の死後、妻に頼りきった介護・育児生活は一区切りし、妻にとっても新しい生活が始まりました。

人生のパートナーとして、これからもお互いを応援し合い、新しい生活を一緒に楽しもう。

優大の為に買ったマンションから離れ、新たな生活の地、鎌倉に
移ることにしました。

九州出身で海が大好きな妻、群馬出身で山や自然があると落ち着ける僕。

亡くなる時、亡くなった後も何かと助けになった仏の教えも、
菩提寺の総本山である建長寺のある鎌倉ならばいつも近くに感じられます。

照りつける太陽、抜けるように青い空と江ノ島の先、遥かに広がる大海原を眺めていると、自然と優大のことが感じられます。

湘南・鎌倉での生活は僕らのリハビリであると同時に、中島家セカンドステージのスタート地点となりました。

 

 

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優大とわたしたちの10年間の物語 目次

About Stories 「物語の前に」

Story1
妻編:「赤ちゃんにノウガナイ?」
夫編:「幸せな若夫婦への突然の報せ」

Story2
妻編:「悲しみと隣りあわせの幸せ」
夫編:「試練、負けるもんか」

Story3
妻編:「この腕に抱きたい」誕生へ
夫編:「産むのはおかしいことですか?」

Story4
妻編:「天からの贈り物」
夫編:「想像できなかった現実」

Story5
妻編:「発作との日々の始まり」
夫編:「いざ広州へ」

Story6
妻編:「中国で重度障がい児を育てる」
夫編:「いよいよ!家族揃っての駐在生活。。」

Story7
妻編:「必死だった日々も。。」
夫編:「妻任せの障がい児子育て」

Story8
妻編:「これでいい。だいじょうぶ。」
夫編:「なかよし学級で教えてもらったこと」

Story9
妻編:「失うことの恐怖。。希望へ」
夫編:「生後5年目、初めての介護育児」

Story 10
妻編:「優大チームの介護子育て」
夫編:「優大5歳、お兄ちゃんになる」

Story 11
妻編:「生きていることの奇跡」
夫編:「8歳の試練」

Story 12
妻編:「当たり前でない日々、10年」
夫編:「命は必ず尽きる、ライフワークは何か?」

Story 13
妻編:「命の最期のしごと 前編」
夫編:「そして、九州へ」

Story 14
妻編:「命の最期のしごと 後編」
夫編:「命日と誕生日、優大の旅立ち」

Story 15
妻編:「すべてが贈り物」
夫編:「3人家族、新しい生活」

Last story
妻編:「生きて!」ママへ、そしてかけがえのないあなたへのメッセージ
夫編:「4人で5人家族、優大学校からの学び」