長男に産まれる前から障がいがあると診断された時、自分の中の素直な感覚は「やっぱり、試練が訪れた」でした。

自分で言うのもなんですが、僕は小学校時代は学級委員とかもやったし、いわゆるよく出来た子だったと思います 笑。

今はそういう制度もないだろうけど、健康優良児という表彰ももらった事があります。

多少のつまずきはあったけど、志望通りの良い高校、良い大学に入り、志望通りの大手メーカーに入社しました。

結婚生活も幸せだったし、「こんなに順風満帆で良いのかな?」なんとなくそう考える自分がいました。

心の中にそういう感覚があったからなのか、障がいの事を先生から聞いた時の最初の感想が、「やっぱり」であり「試練」でした。

そして、その後に続いたのは「俺は負けない」と「絶対に幸せになってやる」。

僕はそんな気持ちでした。

妻がどういう気持ちで、「たとえ2時間しか生られなくても、絶対に産みたい。無事に産んでこの腕に抱きたい!」

と言っていたのか、その意図、その感覚は僕には分かりません。

それは母親だけが持つ母性のようにも感じられました。

命に対する畏敬というか、自分の命と産まれてくる命を同等に扱っているような、そんな感じでした。

その目の中にある覚悟はひしひしと伝わってきて、とにかく自分はこの人と一緒に、この子を産み、育てよう。

この人の気持ちを横で支えよう、そんな風に思いました。

「大丈夫、俺たちならきっと乗り越えられる。」

「神様は幸せな二人を空から見て、安心して、この子を俺たちに預けてくれたんだよ。」

「赤ちゃんの命を最優先の選択をしよう。
安全に産むために帝王切開で産もう。」

武蔵小杉駅の近くにある古びた喫茶店で、
2時間ぐらい話して出した、若い2人の結論でした。

実際の若い私がどう思っていたかというと、「そうは言っても、きっと大丈夫だろう」

ただ単に、無知ゆえに、生来のポジティブ思考ゆえに、なんとなくそう感じていただけなんです。

だからその後の10年間の介護生活の中で、なんども頭を揺さぶられるぐらいのショックを受けました。

そこまでの現実を想像でき、かつ覚悟をきめた妻と、そこまで想像できなかったけど、なんとなく前に進んだだけの僕。

優大が生まれた後、僕の無知、不理解がゆえに、妻に大きな負担を強いる事が起こるのですが、それはまた追って書いてゆきたいと思います。

 

 

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優大とわたしたちの10年間の物語 目次

About Stories 「物語の前に」

Story1
妻編:「赤ちゃんにノウガナイ?」
夫編:「幸せな若夫婦への突然の報せ」

Story2
妻編:「悲しみと隣りあわせの幸せ」
夫編:「試練、負けるもんか」

Story3
妻編:「この腕に抱きたい」誕生へ
夫編:「産むのはおかしいことですか?」

Story4
妻編:「天からの贈り物」
夫編:「想像できなかった現実」

Story5
妻編:「発作との日々の始まり」
夫編:「いざ広州へ」

Story6
妻編:「中国で重度障がい児を育てる」
夫編:「いよいよ!家族揃っての駐在生活。。」

Story7
妻編:「必死だった日々も。。」
夫編:「妻任せの障がい児子育て」

Story8
妻編:「これでいい。だいじょうぶ。」
夫編:「なかよし学級で教えてもらったこと」

Story9
妻編:「失うことの恐怖。。希望へ」
夫編:「生後5年目、初めての介護育児」

Story 10
妻編:「優大チームの介護子育て」
夫編:「優大5歳、お兄ちゃんになる」

Story 11
妻編:「生きていることの奇跡」
夫編:「8歳の試練」

Story 12
妻編:「当たり前でない日々、10年」
夫編:「命は必ず尽きる、ライフワークは何か?」

Story 13
妻編:「命の最期のしごと 前編」
夫編:「そして、九州へ」

Story 14
妻編:「命の最期のしごと 後編」
夫編:「命日と誕生日、優大の旅立ち」

Story 15
妻編:「すべてが贈り物」
夫編:「3人家族、新しい生活」

Last story
妻編:「生きて!」ママへ、そしてかけがえのないあなたへのメッセージ
夫編:「4人で5人家族、優大学校からの学び」