出産準備の為、妻は出産一ヶ月ぐらい前に実家に帰省しました。

昼間は仕事に行っている僕。もちろん、仕事が手につくような状態ではなかったけど、少なくとも作業をやっているその瞬間は、現実から目をそらす事が出来ました。

日中は家で一人になる妻にとって、出産の先輩でもあるお義母さんの近くにいた方が少しは安心だろうと思っての事です。

僕自身もかなりパニック状態でした。それを鮮明に現すエピソードを覚えています。

ある日、会社の先輩達が送別も兼ねてゴルフコンペを企画してくれました。

駐在員になるからにはゴルフぐらいできた方が良い。そう思うものの、気の進まないゴルフ…。気分的にはそれどころではない。

慣れないゴルフのラウンドを迎えた当日、僕は散々な目に遭いました。

前のホールのホール脇にサンドウエッジを置き忘れて取りに戻ったり、
ティショットを真横に球を飛ばしてしまったり、お気に入りのタグホイヤーの腕時計をどこかに落としてしまったり…。

一緒に回った先輩だけでなく、見ず知らずの他のパーティにも大迷惑をかけてしまいました。

事情を知らないみんなは怪訝な顔で僕を見ていましたが、僕の心中を知る由もありませんでした。

6月になり、いよいよ出産に臨むタイミングが訪れました。

それは同時に、僕の初めての海外赴任を翌月に控えたタイミングでもあります。

赴任前休暇に有給休暇を繋げてもらって合計で2週間ほどの休みを取り、妻の実家に向かいました。

実家での妻は、予想に反してとても辛い日々を過ごしていました。

武蔵小杉の個人病院では「普通の子と同じように、お腹の中で育ててあげてください」という、暖かく、優しいアドバイスをもらっていました。

それが大学病院に転院した途端に一転。

最初の経緯から説明するすることになったのですが、「何故この子を産むのか」という根本の所をなかなか理解してもらう事が出来ませんでした。

無事に産まれられるかどうか分からない、まして、産まれたら確実に重い障がいが残る事が分かっている。

「それでも産むのですか?」先生達の問いかけが重くのしかかります。

私達が若かったから、気の迷い、若さゆえの浅はか、と心配したのかもしれません。

障がい児と家族の「その後」を、沢山見てきた先生達ならではの配慮があったのかもしれません。

前向きだった気持ちは少しづつ滅入っていきました。

産前検診では、普通分娩で産むと、頭だけが小さい息子は肩が産道に引っかかり出てこれないかもしれないと説明を受けました。

肩を脱臼するリスクもあるし、万一引っかかったまま窒息したら、その場で命が終わるかもしれないとも言われました。

その説明を受けた私達は迷わず、安全に産んであげる為に、帝王切開を選択しました。

すると今度は帝王切開のリスクを、ちょっと過分なのでは?と感じるぐらい説明されました。

手術は母体への負担が大きい事、手術中の出血多量のリスク、やむなく輸血をする事になった場合のリスク…。

普通分娩を勧められた事もありました。お母さんはまだ若いのだから、これから何人も産む事ができる。

この子を産む事に無理をする必要はない。そう言われているのは明白でした。

妻にこの子を無事に産ませてあげたい。僕はそれだけを想っていました。

勿論、妻の身体を傷付けたくはないけれども、妻の命も息子の命も同じくらい大切。だからこそ、僕達は息子の命を最優先に帝王切開を選択したい。

そんな我々の想いを遮るような出来事があまりにも重なり、妻は毎日泣いているし、僕はだんだんと怒りを覚えてきました。

もし子供が健常児だったら、帝王切開の危険性を同じように懇切丁寧に説明するのでしょうか?出産に伴うリスクを強調するのでしょうか?

この子を帝王切開で産むのはそんなにおかしい事なんですか?

障がい児の命は、健常者の妻の命よりも軽いのですか?

こうなったら自分達が気持ちをしっかり持つしかない。僕は日に日にその気持ちを強くしました。

でも出産日が近づくにつれ、やはり心配と不安な気持ちは募ってゆきます。

本当に大丈夫だろうか?様々な不安が混じった複雑な心境でした。

出産当日の朝早く、手術室に向かう妻を励ました後、僕は手術室前の待合室で不安な時間を過ごしました。

もし、手術中に妻が亡くなってしまったらどうしよう。

手術直後に息子が亡くなってしまったらどうしよう。

無事に産まれてくれたとして、息子を受け入れることができなかったらどうしよう。

妻が分娩室に入って30分、「はぎゃあ!ふぎゃあ!」という元気な声と共に、僕達の息子が無事に産まれました!

暫くして看護師さんがベビーベットを推して出てきてくれました。僕は念願の息子と対面する事が出来ました。

「可愛い!」それが最初の印象で、すぐに心の底から愛おしく思う気持ちが溢れてきました。

受け入れられるかな?という不安は一瞬にして消え去り、抱っこしてみると、生きようとする力がひしひしと伝わってきました。

全ての不安は消し飛び、嬉しさと幸せだけが僕の中に充満していました。

※生後1ヶ月の優大。産まれた時から目がまん丸でした。

 

 

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優大とわたしたちの10年間の物語 目次

About Stories 「物語の前に」

Story1
妻編:「赤ちゃんにノウガナイ?」
夫編:「幸せな若夫婦への突然の報せ」

Story2
妻編:「悲しみと隣りあわせの幸せ」
夫編:「試練、負けるもんか」

Story3
妻編:「この腕に抱きたい」誕生へ
夫編:「産むのはおかしいことですか?」

Story4
妻編:「天からの贈り物」
夫編:「想像できなかった現実」

Story5
妻編:「発作との日々の始まり」
夫編:「いざ広州へ」

Story6
妻編:「中国で重度障がい児を育てる」
夫編:「いよいよ!家族揃っての駐在生活。。」

Story7
妻編:「必死だった日々も。。」
夫編:「妻任せの障がい児子育て」

Story8
妻編:「これでいい。だいじょうぶ。」
夫編:「なかよし学級で教えてもらったこと」

Story9
妻編:「失うことの恐怖。。希望へ」
夫編:「生後5年目、初めての介護育児」

Story 10
妻編:「優大チームの介護子育て」
夫編:「優大5歳、お兄ちゃんになる」

Story 11
妻編:「生きていることの奇跡」
夫編:「8歳の試練」

Story 12
妻編:「当たり前でない日々、10年」
夫編:「命は必ず尽きる、ライフワークは何か?」

Story 13
妻編:「命の最期のしごと 前編」
夫編:「そして、九州へ」

Story 14
妻編:「命の最期のしごと 後編」
夫編:「命日と誕生日、優大の旅立ち」

Story 15
妻編:「すべてが贈り物」
夫編:「3人家族、新しい生活」

Last story
妻編:「生きて!」ママへ、そしてかけがえのないあなたへのメッセージ
夫編:「4人で5人家族、優大学校からの学び」