単身赴任になり、仕事だけに集中できる環境は整いました。

何よりも、あと一年以内に納得のゆく成果を出さなければならない。

僕は今まで以上に仕事にエネルギーを注ぎました。

深セン支店は無事に立ち上がり、業績もどんどん伸びました。

その噂は日本の本社にも届き、広州支店が元気が良いらしいと日本の本社から、役員始め沢山の方が市場視察にいらっしゃいました。

30人に及ぶ中国人の部下マネジメントと、売上規模が前年の2倍ぐらいのスピードで伸びるビジネスの事業運営。

28歳の自分は怖いものがないくらい仕事に熱中し、自分にも酔っていました。

その頃、妻はプロテスタント教会の信徒さん達が運営している「なかよし学級」という施設を見つけ、優大を通わせるようになりました。

そこには障がいのある子も少し発達が遅い子も健常な子もみんな一緒に楽しく遊んでいます。

僕は正直、通園施設というものが優大と妻にとってどんな意味を持つのか今ひとつ分かっていませんでした。

なので、中国の施設でやんわりと入園を拒否された時も、それがどれだけ大変な事かを理解することもできませんでした。

九州に戻り「なかよし学級」に通うようになってから、妻からの電話のトーンは明らかに変わりました。

明るくなったし、何か余裕が感じられます。

障がい児を育てる為の様々な情報を得られる事、同じように障がい児を育てるママさん達との何気ない会話、それら全てが本当に彼女の助けになっているようでした。

鼻のチューブを通して経管栄養をあげる事もこの頃から始めました。

栄養を摂ることと、食事を楽しむ事は似ているようで異なります。

一日中食事をあげる妻も一日中咀嚼と嚥下を繰り返す優大も、義務的な食事から解放されました。

その代わり、大好物のイチゴやクリームをちょっとだけ口から食べさせれば優大もニッコリ笑うし、それを見る妻も癒されます。

お友達と触れ合ったり、お名前呼びをする時にいい反応を見せる優大。

友達のいる環境。介護仲間のいる環境。話を聞いてくれる先生達のいる環境。

妻と優大は初めて人間らしい生活を取り戻す事になりました。

そしてそれは「なかよし学級」のお陰でした。

そんなある日、「なかよし学級のサマーキャンプがあるんだけどあなたも戻って来れない?」と誘いがありました。

暫く一人で仕事中心の生活を続けてしまった事もあり、育児に関わる事への腰の重さがありました。

加えて、中国では優大以外の障がい児に会うことはなかったので、そういう場に行ってどういう風に接して良いものなのか躊躇もありました。

自分自身も障がい児の父親であるのに、なんとなく障がい児の施設とか障がい児の親同士の交流などに抵抗がある。

まだ完全にはその世界の住人にはなれていないという感じだったのかもしれません。

しかし、結局は妻からの熱烈な誘いを断ることもできず、夏休みを取得して渋々サマーキャンプに参加することになりました。

初めて会う障がいのある子供達。優大と同じくらいの重い障がいの子もいました。

先生達も牧師さんも他のお父さん達も積極的に話しかけてきてくれます。

でも、自分だけがなんとなく仲間に入れない。

キャンプファイヤーで楽しそうに踊る牧師さん、お父さん達。

どうしてそんなに無邪気に楽しそうにできるんだろう。

自分の子供達の障がいの事は気にならないのかな…。

今ひとつ気持ちが入り込めないまま夜の懇親会を迎えました。

そこで親しくしてくれたのがあーちんパパです。娘さんのあーちんをとても可愛がっていました。

彼と話をしていて、彼がどれだけ娘さんを大切にしているか、自分の犠牲を全く厭わず、献身的に育児に参加しているかがよく分かりました。

それは育児を手伝っているという受動的なものではなく、完全に能動的な育児でした。

僕と同じように大手企業に務める彼は、「出張のない職場に配置転換してもらった」と何事もないように語ります。

それって仕事を捨てて家族を取るということ?仕事と家族を両立しようとは考えないの?

家族を顧みずに中国での単身赴任を選択した自分が恥ずかしくなりました。

でも、あーちんパパも「なかよし学級」の先生達も全く僕を責めません。

それどころか、単身での中国駐在を心配してくれさえする。

どっちを選ぶとかどっちを優先するとかそういう事ではなく、ここにいるパパさん達は目の前のお子さんを心底可愛がり、その為に自分ができることをしている。

とても明るくて、優しい。自己犠牲を強いて辛そうにしている感じもない。

同じ父親としての懐の深さというか、人間的な大きさに、僕は自分への嫌悪感と嫉妬すら覚えました。

みんな悩みがないわけはない。子供がどうなるんだろうと心配しながら過ごしている。

それでも、目の前にいる我が子と真剣に向き合い日々の生活を一歩一歩積み重ねている。

自分は今まで現実から目をそらしていなかったか?

仕事に熱中することで父親としての責務を果たしていると驕っていなかったか?

このサマーキャンプをきっかけに、僕の中の父親像が少しづつ変化してゆきました。

 

 

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優大とわたしたちの10年間の物語 目次

About Stories 「物語の前に」

Story1
妻編:「赤ちゃんにノウガナイ?」
夫編:「幸せな若夫婦への突然の報せ」

Story2
妻編:「悲しみと隣りあわせの幸せ」
夫編:「試練、負けるもんか」

Story3
妻編:「この腕に抱きたい」誕生へ
夫編:「産むのはおかしいことですか?」

Story4
妻編:「天からの贈り物」
夫編:「想像できなかった現実」

Story5
妻編:「発作との日々の始まり」
夫編:「いざ広州へ」

Story6
妻編:「中国で重度障がい児を育てる」
夫編:「いよいよ!家族揃っての駐在生活。。」

Story7
妻編:「必死だった日々も。。」
夫編:「妻任せの障がい児子育て」

Story8
妻編:「これでいい。だいじょうぶ。」
夫編:「なかよし学級で教えてもらったこと」

Story9
妻編:「失うことの恐怖。。希望へ」
夫編:「生後5年目、初めての介護育児」

Story 10
妻編:「優大チームの介護子育て」
夫編:「優大5歳、お兄ちゃんになる」

Story 11
妻編:「生きていることの奇跡」
夫編:「8歳の試練」

Story 12
妻編:「当たり前でない日々、10年」
夫編:「命は必ず尽きる、ライフワークは何か?」

Story 13
妻編:「命の最期のしごと 前編」
夫編:「そして、九州へ」

Story 14
妻編:「命の最期のしごと 後編」
夫編:「命日と誕生日、優大の旅立ち」

Story 15
妻編:「すべてが贈り物」
夫編:「3人家族、新しい生活」

Last story
妻編:「生きて!」ママへ、そしてかけがえのないあなたへのメッセージ
夫編:「4人で5人家族、優大学校からの学び」