中国広東省から帰国した夫、九州から戻ってきた私と優大、再び家族が揃い東京の社宅での暮らしが始まった。
またなにもかもが新しい生活。
優大が生まれ、車いすでの移動を考えて、私には一生無縁だと思っていた免許をとった。
結婚4年目にして、我が家にも1台目の車がやってきた。
通園施設のそばの社宅を選べたことが幸いだった。
おぼつかない運転でも、急な坂道を登って五分ほどで着く道のりは何とか運転することができた。
今度、優大が通うことになった療育施設は北区にある大きな療育センターの分園で、比較的小さくアットホームな雰囲気だった。
情緒面でも随分成長した優大は人見知りや場所見知りがあり、緊張すると寝てしまうことも多かった。
これを逃避寝と呼んでいた、笑。
昼夜逆転も続いていたのもあり、最初の頃の登園では寝てばかりだったが、次第に登園が楽しみになった。
園に着いて部屋へのエレベーターに乗ると優大は必ず笑顔になった。
大脳がないために目は余りよく見えていなかったが、賑やかなお友達の声の中にいる雰囲気が何より好きなようだった。
東京に来る少し前頃からまたひどくなった、てんかんの発作のせいもあり、体調の悪い時には、たくさん食べることが難しくなったので、鼻から胃に管を通し栄養を摂取するための経管栄養が加わった。
けれど城南分園の美味しい給食のせいか、また食事ができるようになり、ゆっくりと無理のないペースで、食べることを楽しめるようになった。
だいじょうぶ、の言葉通りに新しい生活は順調に軌道に乗った。
悩みながらも明るく前向きに子育てをしている同じクラスのお母さん方との出会いも、私の大きな支えとなった。
夫は帰国してから、忙しい中でも次第に育児に関わる時間が多くなってきた。
休みになると色々な所に出掛けた。
優大が生まれてからずっと夢だったディズニーランドにも行くことができた。
初めての温泉旅行は日光まで足をのばした。
そうやって、日常生活が落ち着いてきたのと裏腹に、私の中にはひとつどうしても拭えない深い苦しみがあった。
成長するにつれ、赤ちゃんの頃よりも体調管理がより難しくなってきて、安定していたかと思ったら急に悪くなることも増えて来た。
風邪をひいただけで命に関わると言われている優大は、投薬をはじめ体調を管理する日常のケアは抜かりなくしなければいけない。
24時間365日、精神的な緊張が抜ける時間が殆どなかった。
けれどどんなに寝る時間もなく懸命にケアをして落ち着いていても、一度風邪をひけば肺炎になり入院した。
当時、東京の新しい病院では、入院の度に、医師から危篤になった場合の救命処置について確認された。
医師たちは言った。
「優大くんは大変重度の障がいがあります。私達としては、挿管して命を繋ぐことは、本人にとってもご家族にとっても苦痛が増えるだけだと考えます。」
優大の命が短いことは嫌というほど理解している。
けれど、優大の命が尽きるかもしれないという時に、自分がどんな選択ができるかを想像するのは難しかった。
繰り返し質問され、毎回優大の命の現実を突きつけられる。
親には責任がある、けれど、感情もあるのだ。
私はこのやり取りにひどく消耗した。
優大が成長し、笑顔を見せ、かわいく愛おしく思うほどに、失うことの恐怖も大きくなっていく。
明日のこともわからない、ひとサイズ大きい来年の服を買ったことはなかったし、小学校に入学することなんて想像することさえできない、そんな毎日だった。
次第に無力感でいっぱいになっていった。
人生が空しい。
命とは何なのか。
失うことがわかっているのに育てることの意味は何なのか。
そんな空虚な思いがよぎっては涙が流れた。
必ず訪れる絶望を考えないようにして、希望だけをもつことが私にはできなかった。
身体中の調子が悪くて、食事ができなくなり、ほんの少しのことで、すぐに涙が出てくる。
まるで涙が身体の中を満たしてしまったかのようだ。
これまで心の中にしまっていた感情が一気に溢れるように、数ヶ月に渡って苦悩は続いた。
けれど、そんな日々の中にも優大を見ていて目が覚めるようにハッとする瞬間があった。
今の目の前の優大を見ると、肺炎や発作をその度に力強く乗り越えて育っている。
毎日見せてくれるキラキラとした目の輝きは、本当に美しい命の輝きに見えた。
優大が今こうして生きていることだけで、どれほどの愛情をもらっていることか。
優大に教えられ、少しずつ、私は強くなった。
いつ終わるともわからないのなら、毎日を大切に生きることしかない。
自分の分身のように大切な我が子を失うという恐怖は拭えなくても、今までだってそうしてきたように幸せに生きることができる。
優大と共に後悔のないように生きよう、気付けば強くそう思うようになっていた。
苦しみ抜いた末に見えて来たひとすじの光。
優大が見せてくれる命の輝きが教えてくれた希望。
それが私の行く先を照らしてくれた。
そんな頃、私のお腹の中に新しい命が宿った。
ずっと欲しいと願っていて、でも我が子の命を生み出して、失うことの恐怖を受け入れることができないまま、また新しい命を授かることに踏み切れないでいた。
優大の命をまるごと受け止めて生きていく、そう思えるようになった私のもとにやってきた二人目の命。
優大五歳の真冬の寒い日、元気な弟が誕生した。
私が帝王切開で入院している間の12日間、優大には原因不明の呼吸困難の症状が出てしまった。
検査をしてもよく原因はわからず、結局一ヶ月ほどして自然と治まったので、初めて私と長く離れたことのストレスだったのではないかということになった。
最初こそ不安だった優大も、すぐに弟をかわいく思っていると
わかるような優しい表情で次男を見る様になった。
言葉では表現できないぶん、優大の表情は沢山のことを伝えてくれる。
次男がやって来てから、我が家はぐんと賑やかになった。
赤ちゃんの時から活発でいつもニコニコしている次男の存在は我が家にはなかった色とりどりの明るさを運んできた。
育児はますます忙しく大変になったが、随分夫が分担してくれるようになった。
入院したら病院の付き添いや、吸入や吸引や体位交換などの重要な日常のケアも出来ることが多くなりとても助かった。
もうすぐ優大は小学校に入学する。思い描くこともできなかった
ランドセル。
車いすにかけられるように特別にオーダーした。
横長で色は紺、裏には優大と刺繍が入る予定だ。
夫がいて優大がいて次男がいて、これ以上の幸せはないと感じた。
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優大とわたしたちの10年間の物語 目次
About Stories 「物語の前に」
Story1
妻編:「赤ちゃんにノウガナイ?」
夫編:「幸せな若夫婦への突然の報せ」
Story2
妻編:「悲しみと隣りあわせの幸せ」
夫編:「試練、負けるもんか」
Story3
妻編:「この腕に抱きたい」誕生へ
夫編:「産むのはおかしいことですか?」
Story4
妻編:「天からの贈り物」
夫編:「想像できなかった現実」
Story5
妻編:「発作との日々の始まり」
夫編:「いざ広州へ」
Story6
妻編:「中国で重度障がい児を育てる」
夫編:「いよいよ!家族揃っての駐在生活。。」
Story7
妻編:「必死だった日々も。。」
夫編:「妻任せの障がい児子育て」
Story8
妻編:「これでいい。だいじょうぶ。」
夫編:「なかよし学級で教えてもらったこと」
Story9
妻編:「失うことの恐怖。。希望へ」
夫編:「生後5年目、初めての介護育児」
Story 10
妻編:「優大チームの介護子育て」
夫編:「優大5歳、お兄ちゃんになる」
Story 11
妻編:「生きていることの奇跡」
夫編:「8歳の試練」
Story 12
妻編:「当たり前でない日々、10年」
夫編:「命は必ず尽きる、ライフワークは何か?」
Story 13
妻編:「命の最期のしごと 前編」
夫編:「そして、九州へ」
Story 14
妻編:「命の最期のしごと 後編」
夫編:「命日と誕生日、優大の旅立ち」
Story 15
妻編:「すべてが贈り物」
夫編:「3人家族、新しい生活」
Last story
妻編:「生きて!」ママへ、そしてかけがえのないあなたへのメッセージ
夫編:「4人で5人家族、優大学校からの学び」